寺岡克哉

現代人の多くは、「物質が原子から出来ていること」もまた、信じて疑わないと思います。今の世の中で、「私は、原子の存在を信じることが出来ない!」などと公言すれば、変人扱いをされてしまいそうです。ところが、以前に私が大学院生だった頃、「君は、原子の存在を信じているだろうが、それを万人が納得できるように証明することができるか?」と、教授から言われたことがあるのです。今ここで白状しますが、私には出来ません。つまり私は、原子の存在を盲目的に信じているに過ぎないのです。 「科学」と言えば、一見すると「盲目的な信仰」から程遠いもののような気がします。そして「科学」と「宗教」は、お互いに対立するものであり、相反するものであると、大多数の人が信じていると思います。しかし、「科学的な証明」はあまりにも複雑で、普通の人にはなかなか理解できません。本職の科学者でさえも、自分の専門以外の分野になると、なかなか理解できないほどです。だから、「この事実は、科学的に証明された!」と、その専門分野の科学者に言われれば、他の人はそれを信用するしかないのです。そのような状況なので、大多数の人間が、科学を盲目的に信仰してしまっているのです。つまり、大多数の人にとっては、科学が宗教になっているのです。これが、私の言う「科学の宗教化」です。 「宗教」を信仰する人間が「神の存在」を信じるのと、「科学という宗教」を信仰する人間が「原子の存在」を信じるのとでは、その本質的な意味合いにおいて、ほとんど差がないように私には思えるのです。